1234私はクリスチャンホームで生まれ育ちました。父は牧師でした。4歳の頃、母が東京の大学院に行き、就職、自然別居が始まり、後に離婚へとつながっていきました。30年以上も前のこと、学校のクラスの中で提出書類の父兄欄に母の名が書かれているのは、私一人だけでした。キリスト教を信じてなくてもいいから、家族が共に住む家庭に憧れていました。
しかし、母の胎内にいた時から教会に行っていたお陰か、日曜日は教会に行くものと思っていましたし、神様のことも信じており、14歳の時に受洗の恵みに預かりました。ところが、家族の状態は悪くなるばかりで、両親も会えば喧嘩が絶えない状態。挙句の果てあろう事か父は牧師を辞めて、新興宗教の伝道師になってしまったのです。
私は神様の存在は信じていましたが、こんな状態をみるにつけ、神様はなぜ私達を放ったらかしにしているのだろう、クリスチャンホームの筈なのにと、少しつつ憤りのようなものが心に蓄積されてゆき、神様は頼りにならないと思うようになってきました。あるきっかけで教会に行かなくなり、6年間、心は神から大きく離れた生活が続きました。
しかし、私は自分が思っていたほど強い人間ではありません。何をするにもすぐに挫折するし、皆が楽しんでいる事が、私には楽しくない、気晴らしになるどころか返ってストレスになる、小さい頃から感じていた疎外感を、さらに強く感じるようになっていました。何かにすがるにも神様は信用できないし、と苦しみながら生きる希望も目標も持てずに、自分を追い詰めてゆく日々でした。
20歳の時に、ある出来事を通して、神様の方へ目を向ける事になる訳ですが、あまりの恵みの大きさに圧倒され、もう何があってもこの道から離れるまい、いや、離れたら私の人生は暗闇に逆戻りしてしまうから従ってゆこう、と決心を固めました。しかしその後の道程は簡単ではありませんでした。自分の内側の問題、外からの試練、色々とありましたが、不思議なことに、振り返って見る時に、全て乗り越えてきているのです。神様は本当に助けて下さるし、危険から守っていて下さる。全てが信仰の肥やしになっているのです。
わたしは時々、「どうしてあの状況で、神様に祈ることができたのだろう」「どうしてあの言葉を思い出したのだろう」などと思うことがありました。その時に、「祈ってくれていた人がいるのだ」ということを神様は教えて下さったのです。イエス様の元に戻った後も、私はうつで悩まされていましたが、最悪の状態だった時に、罪の事、御言葉、そして祈りの言葉が導かれ、一瞬のうちにうつから開放される体験をしました。
ロサンゼルスに来てから、15年ぶりに、その頃を知る友達に再会した時、彼女は、「あの頃、早天祈祷会を初め、あらゆる祈り会で、あなたのことが祈りの課題にあがらない日はなかった」私は祈られていたから、最悪の状況から解放されることができたのだ、と改めて感動を覚えました。私が周りのとりなしの祈りによって変えられ、成長してきた事を思う時に、今度は、私が祈る者になりたいという思いが強く湧き上がってくるのを感じています。
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しかし、母の胎内にいた時から教会に行っていたお陰か、日曜日は教会に行くものと思っていましたし、神様のことも信じており、14歳の時に受洗の恵みに預かりました。ところが、家族の状態は悪くなるばかりで、両親も会えば喧嘩が絶えない状態。挙句の果てあろう事か父は牧師を辞めて、新興宗教の伝道師になってしまったのです。
私は神様の存在は信じていましたが、こんな状態をみるにつけ、神様はなぜ私達を放ったらかしにしているのだろう、クリスチャンホームの筈なのにと、少しつつ憤りのようなものが心に蓄積されてゆき、神様は頼りにならないと思うようになってきました。あるきっかけで教会に行かなくなり、6年間、心は神から大きく離れた生活が続きました。
しかし、私は自分が思っていたほど強い人間ではありません。何をするにもすぐに挫折するし、皆が楽しんでいる事が、私には楽しくない、気晴らしになるどころか返ってストレスになる、小さい頃から感じていた疎外感を、さらに強く感じるようになっていました。何かにすがるにも神様は信用できないし、と苦しみながら生きる希望も目標も持てずに、自分を追い詰めてゆく日々でした。
20歳の時に、ある出来事を通して、神様の方へ目を向ける事になる訳ですが、あまりの恵みの大きさに圧倒され、もう何があってもこの道から離れるまい、いや、離れたら私の人生は暗闇に逆戻りしてしまうから従ってゆこう、と決心を固めました。しかしその後の道程は簡単ではありませんでした。自分の内側の問題、外からの試練、色々とありましたが、不思議なことに、振り返って見る時に、全て乗り越えてきているのです。神様は本当に助けて下さるし、危険から守っていて下さる。全てが信仰の肥やしになっているのです。
わたしは時々、「どうしてあの状況で、神様に祈ることができたのだろう」「どうしてあの言葉を思い出したのだろう」などと思うことがありました。その時に、「祈ってくれていた人がいるのだ」ということを神様は教えて下さったのです。イエス様の元に戻った後も、私はうつで悩まされていましたが、最悪の状態だった時に、罪の事、御言葉、そして祈りの言葉が導かれ、一瞬のうちにうつから開放される体験をしました。
ロサンゼルスに来てから、15年ぶりに、その頃を知る友達に再会した時、彼女は、「あの頃、早天祈祷会を初め、あらゆる祈り会で、あなたのことが祈りの課題にあがらない日はなかった」私は祈られていたから、最悪の状況から解放されることができたのだ、と改めて感動を覚えました。私が周りのとりなしの祈りによって変えられ、成長してきた事を思う時に、今度は、私が祈る者になりたいという思いが強く湧き上がってくるのを感じています。
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