〜 Weekly Meditation〜


ウイークリー瞑想 「結びつける」 2004年8月9日(月)

 ミニストリーを通して、いままで全く関わりがなかった人たちや出来事が不思議な導きで結びついてきたことが二つ、この週の前後に起こっています。それぞれにはミニストリーを通して深く関わってきているのですが、距離や時間や方向が違うので結びつくとは全く想像もできませんでした。

 それらが思いがけないかたちで結びついてきたのです。一つはそれぞれの状況を紹介したことで結びつき、もう一つは間接に関わったことで本質的な関わりに展開していきました。
 一つのことは、それぞれにはKGKの時からですのですでに30年以上関わってきました。距離も全く離れていますし、方向も違いますので出会うことは想像できないことでした。しかしそれぞれの専門や必要を耳にして、少し紹介したときに不思議に結びついてきました。

 上沼昌雄記

 5月にことが始まり、この週には夫婦同士で夏休みを一緒に取るような話まで展開しています。それぞれとも全く思いがけないかたちでミニストリーを通して再会したのですが、その二組が結びついてきたことに驚いています。

 もう一つは、ある団体の会合のためにミニストリーの理事の方のお宅にこの3月にお世話になりました。その団体の働き人のなかに起こったことと、そのお宅の家族に起こったことが類似していることが当事者同士の間で分かりました。起こったことは12年前、21年前と違っています。立場も違っています。

 しかし共通点がでてきました。その出来事の癒しのために先週また分かち合う機会がでてきました。このお宅の御主人が話の様子を少し教えてくださいました。そしてご主人からも出来事の辛い経験を初めて聞きました。それぞれからは話を聞いていました。まさか結びつくことになるとは想像もしていませんでした。

 「愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)神のみ業が結びつけるものであることを知らされます。それぞれとは深く関わっているのですが、それぞれが互いに関わることになることは可能性としても、また意図的にも全く考えられないことです。それを神は思いがけないかたちで結びつけられます。距離も離れていますし、方向も違いますから人間的には不可能なことです。それが見えない神の糸で結びついてきます。神のなかでは結びついているのですが、実現するまでは見えません。神の働きは、考えられないこと、思いもよらないことを結びつけるものです。それはまさに愛の業です。

 霊性は気づきであると言われています。静まって神を待ち望んでいるときに、自分のなかに起こったことが不思議に他のことに結びついて、実を結んでいくことに気づかされます。結びつきに気づくことでそれが偶然のことではなくて、神の御手の中でなされていることに納得します。どのように結びつくのか分からないことです。想像もできません。コントロールもできません。神のなさることに静かに気づいていくだけです。結びつきに気づくことで、それまでしてきたことも、起こったことも神の御手の中にあると納得します。神の愛にうなづきます。