ウイークリー瞑想 「神の臨在の習練」 2004年12月20日(月)
妻の誕生日にA. W. トウザーの『神への渇き(The Pursuit of God)』を送ってきて、その後すぐにイラクに向かった長男に、今度は妻がクリスマスの包みの中にブラザー・ローレンス(1614-1691)のThe Practice of the Presence of Godを入れて、送っていました。その本は手元にあり、細かく読んでいないので読み出しました。The Pursuit of Godは注文を出していますが、友人の牧師が親切に邦訳の一部をスキャンして送ってくれました。
ブラザー・ローレンスの本は、「神の臨在の習練」と訳されるのだと思います。神の臨在は深く求めるところですが、そのための習練といわれるプラクティスということで何を彼が意味しているのか興味がありました。特に彼は、神との臨在を静けさと孤独の中で真摯に求めるカルメル会に属していたのですが、修道士の一人として修道院での料理人として仕えていたのです。
手仕事を持っている忙しい中で彼が40年にわたって実践していった習練が、カルメル会の祭司たちによって認められたのです。今でも彼のしてきた習練はインパクトを与えています。妻は若いときに読んで感銘して、イラクに向かった長男へのプレゼントとしたのです。
ブラザー・ローレンスは、神の臨在のための手始めとして、手仕事をしているときでも、そして教会の奉仕をしているときでも、さらにたとえ祈りをしているときでも、立ち止まって、退くことを勧めています。心を神のために空けていくことです。心を意識的にといってもいいほどに神に向けていくのです。それが習慣となるまでに繰り返して行くのです。
立ち止まり、退くことは別に新しいことではないのですが、彼の場合はそれを自分の生涯のこととして実践してきたのです。その立ち振る舞いに神の臨在が溢れていました。祭司たちがその秘訣を尋ねています。立ち止まり、退くことは手始めに過ぎません。その後どのように神の臨在を深めていくのか、その道を知りたいと思います。習練したらできることなのか、まさにプラクティスの本随です。計り知れない深い世界です。
しかし、この立ち止まり、退くことは、クリスマスの忙しいときに意味があるのだろうと思います。クリスマス集会、メッセージ、プレゼントと休む間もなく続きます。ブラザー・ローレンスはたとえ祈りをしているときでも、それを止めて、退くことを勧めています。クリスマスはまさに神の臨在です。立ち止まって、退いて、私たちの間に肉を持って住んでくださった神の臨在を味わいたいと願います。クリスマスの集会の時も、メッセージを通しても、家族でプレゼント交換するときも、神の臨在により触れていくときでありたいと願います。
上沼昌雄記
上沼昌雄記