〜 Weekly Meditation〜


■「妻の話を聞く?」 2004年1月26日(月)


 先週末に届いた雑誌Christianity Todayの2月号に、日本の宣教師であったロバーソン・マクルキン先生のインタビューが載っていました。日本での奉仕のあとコロンビア・バイブル・カレッジの学長をされていましたが、アルツハイマー病にかかっている奥さまのために1990年に学長の職を去って看護に専念されてこられました。

 その年に雑誌Christianity Todayに学長を辞めた経緯を記事に書いていました。ミニストリーも許可をいただいて「結婚の誓いによって」という題で訳出しました。また、 いのちのことば社から『すこやかな時も病める時も』(羽鳥栄訳)という題で出版されています。1993年には奥さまは先生のことを識別できなくなったということです。発病されてから25年、識別できなくなってから10年、 そして昨年の9月に召されました。

 インタビューのなかで、学長を辞める決断は自分の人生で一番楽なことであったといっています。看護に専念されてから13年、そのために犠牲にしてきたことが多くあるのではという質問にも、それが神が自分の与えてくれた役割ですとあっさりと答えておられます。実際の看護のなかでは、先の本を読んでいただくと分かるのですが、何が起こるのか分からない驚きの連続であったといっています。どのようなことが起こってもそのまま受け止めていくだけといわれています。しかし、先生ご夫妻のことで結婚の危機にあった人たちが回復されたり、励まされてきました。

 先生にとって奥さまを愛することは喜びでした。しかし一番辛かったことは、奥さまがその愛に応答してくれなかったことだといわれています。看護をされながら先生のなかに何度となく応答を期待する思いがでてきたことでしょう。しかしどんなに尽くしてもそれは一方的なものでした。そのようななかで先生は「主よ、それはまさにあなたと私の間のことですね」と気づかれたというのです。神は一方的に愛を注いでくれていますが、それに報いるような応答は何も受け取っていないのです。それでもなお愛し続けてくださるのです。

 マクルキン先生のこの言葉に接して、キリストがそうされたように妻を愛するということには、妻の話を聞くということよりさらに向こう側に、底知れない愛の深さがあることに驚かされます。妻の話を心から聞き届けていくことも、キリストがご自分を捧げられたような犠牲が求められることで大変なことです。しかし実際にはマクルキン先生のように、ただ一方的に愛し続けることで底知れない神の愛の深さに気づかされるのです。

 神の一方的な愛に気づかれ、それが支えになっていたのだと思います。30年以上前に日本の神学校で先生の特別講義を受けた時のことを思い起こしています。シャープな先生でしたが人を包み込むような情熱を持っておられました。講義の内容は忘れたのですが、先生が歩まれた道を知らされて、先生のうちにある愛の真実さが漂ってくるような気がします。妻の話を聞くというさらに向こう側にある神の愛の深さを沈思黙考するのみです。

 上沼昌雄記