〜 Weekly Meditation〜


■「忘却と想起」2003年12月29日(月)

 今年は長男がイラク戦争のために出兵、参戦、帰還するということがありました。私自身は終戦の年に生まれていますので、戦争は過去のものという思いがありました。しかし、戦争に伴う人類の悲劇がいまだに現実のものであることを知らされました。私だけではありませんでした。沖縄の悲惨な戦争のなかで幼児期を迎えられた牧師先生が、家族をも失った当時をことを教会の月報に書かれていました。

 私たちが家族で出席しているカリフォルニアの山の教会では、真珠湾攻撃のニュースを聞いて翌日海兵隊に志願して3年間日本軍と闘ってきた方が、私から憎まれていないだろうかと私の妻に聞いたと言うことでした。90歳を超えている方ですが、日本兵の日の丸をいまだに所有しています。また、ベトナム戦争に参戦して毒ガスの枯れ葉作戦の影響を受けていまだに苦しんでいる人がいます。

 この年も多くの恵みをいただきました。『夫たちよ、妻の話を聞こう』も出版することができました。多くの男性集会を持つことができました。心に触れる交わりもいただきました。それらはよい思い出として積み重ねられています。恵みの広がりと深みをいただだいています。信頼と希望を与えてくれます。感謝するだけです。

 戦争のことは、しかし、人類の悲劇、人間の罪深さを思い起こさせてくれます。人類の歩みのなかで繰り返されてきた戦争と悲劇は、過去のものとして終わったのではなくて、人類が生存している限り、これからも起こるものという現実感を与えてくれます。この現実感は自分の外で起こるという意味ではなく、自分のなかに深く根ざしていると言うことです。私の存在が悲劇を引き起こすことに避けられないからです。

 アメリカと日本という富める国で奉仕をしていることが貧富の差を引き起こし、世界の不安をもたらすことに関わっていることに避けられないこともその一つです。しかしそれ以上に、人間の罪深さが自分のなかに根付いていることを思い起こさせてくれます。私個人としての罪深さの現実が私のことだけでなく、人類の歩みのすべてに関わっていることを実感させられました。罪の現実の理解の軸が私だけでなく、全人類の罪の理解の軸として自分のなかで広がってきました。そのために誰かを非難したり、ある国を非難したりすることより、神の前の全人類の罪に自分が関わっていることを知らされます。神が問題にしている罪が私の罪であり、同時にアダム以来の罪でもあると実感させられます。

 神は多くのすばらしいことをこの年もなしてくださいました。同時にといったらよいのか、それ以上にといったらよいのか、神だけが思い起こさせてくださる人間の根本的なあり方を戦争という事実を通して思い起こさせてくださいました。そして、もっと大切なものを神は思い起こさせようとされているようにも思います。すなわち、自分のうちに住む罪を思い起こされたことで、その罪を見つめている神ご自身を思い起こすことを求められているようです。詩篇の作者が「私は神を思い起こして嘆き」(77:3)といっているように、直接的に神だけを想起することが求められているようです。

 神がなしてくださった私のうちに起こったことは感謝に堪えないことです。それは私のこととして思い出に残っていきます。しかし、それらにしがみつくことはできないことが分かります。神がなしてくださったことでも私のもので終わってしまうからです。忘れてもいいことです。しかし神は、神のみが持っておられる永遠に関わることを、すなわち、神のみを想起させようとしているように思えます。



 上沼昌雄記