■ザ・証し
小田原総司君の証し 2008年10月5日受洗
みなさん、おはようございます。僕の名前は小田原総司と言います。今年の3月に高校を卒業
して、その約一ヶ月後の4月にアメリカへ渡ってきました。サンディエゴで3ヶ月間語学学校に通い、6月の終わりにこちらへ移ってきました。そして9月から
はカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校に通っています。さて今日は、安藤先生が日本に宣教に行っておられるということで、僕が時間を頂いてお証しさ
せていただくことになりました。このように皆さんの前でお証しできることを本当に感謝しつつ、お話していきたいと思います。不慣れなもので、聞きづらいこ
ともあるかと思いますが、どうか最後まで聞いてくだされば光栄です。
僕は1989年4月18日に広島県の尾道市という所で長男として生まれました。1989年
は年号で言えば「平成」元年ということなので、よく分かっていただけるでしょうか。父方の祖父母からクリスチャンなので、僕はクリスチャン3世ということ
になります。そのため、小さい頃からずっと教会に行っていました。サンデースクールで聖書のことを少し勉強したり、聖書に出てくる話を絵本で読んでもらっ
たりしていたので、聖書にはある程度親しんでいました。また、両親の教育もキリスト教に基づいた教育であったため、漠然とではありましたが、自然と「神
様」という存在が僕の心の中におられたのです。
さて、僕が小学校2年生の時、その後の人生を大きく変える出来事が起こりました。ある日、
とても仲のよかった友達が「野球の練習行ってみない?」と、小学校の野球チームの練習に誘ってくれたのです。実は、僕の父は日本人には珍しく、野球のルー
ルすら知らないような人でしたので、それまで僕はキャッチボールをしたことすらありませんでした。ですので、その友達に誘われて練習に行った日が、僕が野
球に出会った日でした。正直言って、その日に何を練習したのか全く覚えていません。そして、なぜその日に僕が野球にそれほどまでに魅かれたのかも全く分か
りません。ですが、気がついたら僕は野球に没頭していました。今までの僕の人生は、野球抜きでは語れません。そこでまず、野球を始めてから教会との関わり
がどうなったかを話したいと思います。小学生の間は、野球で忙しくなろうとも、試合以外の日曜日の朝にはサンデースクールに行った後に練習に行っていまし
た。そうやってしっかり教会に行きつつも、野球では何度も県大会に出場して、僕の大好きな広島カープの本拠地、広島市民球場でも2回試合をすることができ
ました。
しかし中学生になり、学校のチームではなく地域のクラブチームで野球をやるようになり、土
日祝日は朝から夕方までずっと野球漬けになっていました。そんな状況だったので、もちろん教会の礼拝に行くこともできませんでした。この頃から少しずつ、
自分が教会から離れて行っているのを、心のどこかで感じ取ってはいたと思います。しかし、「野球をやっていて忙しいからまあいいか」と妥協してしまいまし
た。そのころ同時に、「神様なんてホントにいるのだろうか?」なんて疑い始めたのです。思春期になって少し頭が切れてきて、「宇宙はどうなっているのだろ
う?」とか「なんで物を投げるのに45度が一番飛ぶのだろう?」とか、いろんなことに興味がありました。そういうことに対しては、必ず答えが出るまで追求
しないと気が済まない、ちょっと変な中学生だったので、科学では証明しづらい神様の存在を疑っていたのです。今考えてみると、神様のことを信じる機会はい
くらでもありました。神様がいくつもの奇跡を起こしてくださったのです。中学3年の夏、僕の所属していた野球チームは全国大会の予選で地区大会、県東部大
会、県大会と立て続けに勝ち、中国大会に出ることになりました。それまで僕は打率が3割に満たないような状態でしたが、その地区大会、県東部大会、県大会
の僕自身の成績は、なんと5割を超え、チームの総打点の約半分を叩き出していました。本来ならばそんな自分以上の力が出ている時点で神様に感謝すべきなの
ですが、僕にはそういうことを考えることすらできませんでした。
さて、県大会から約2週間後のことです。朝起きてみると、それまでに経験したことのないく
らいのひどい頭痛がありました。頭痛はひどかったのですが熱は37℃くらいしかなかったので、病院に行って薬をもらえばすぐに治るだろうと思っていまし
た。しかし病院に行って診てもらったところ、原因が分からないとのことで、どうしようもないと言われました。そう言われてしまうと僕には寝ることしかでき
ないので、家に帰ってずっと寝ていたのですが、次の日も、またその次の日も、具合は良くなるどころかどんどん悪化していきました。どのくらい頭痛がひど
かったか説明すると、寝ている時にちょっと体勢を変えるために寝返りを打とうとすると、ハンマーでぶん殴られたような激痛が走るといった感じです。あまり
にひどかったので、もうこのまま死んじゃうんじゃないのかと思ったほどでした。野球の中国大会が約1週間後に迫っていたというのに、もうそれどころではな
くなっていました。友達のお父さんで脳外科医をされている方の所へ行って、特別にじっくり診てもらいました。CTスキャンも撮りました。それでもやっぱり
原因が分からず。結局、2週間寝たきりのままになってしまったのです。中国大会まであと4日くらいまで迫った時に、西洋医学でダメなら東洋医学を試してみ
るかということになり、整体に行くことになりました。果たしてそれが効いたからなのかどうかは分かりませんが、頭痛が引いていき、やっと普通に生活できる
ようになりました。なんとかギリギリ中国大会にも間に合いました。これが2つ目の奇跡です。しかしここでも僕は、神様のことを忘れてしまっていたのです。
原因不明の頭痛が治ったのは良いものの、僕には中国大会がありました。頭痛が続いていた間
は2週間寝たきりで、運動はもちろんのこと、立ってまともに歩くことすらできていなかったので、体が完全になまっていたのです。それでもみんなと一緒に山
口県の試合会場まで行き、大会前日の練習に臨みました。そして、大会前日の調整として練習をしているはずの時に、僕は感覚を取り戻すのに必死でした。しか
し、そううまくいくはずはなく、ノックを少し受けるだけでひどい息切れ、ボールを取る感覚も分からない、バッティングでも全くボールに当たらない、と散々
でした。正直ヤバいなと思っていました。きっとスターティングメンバーには選ばれないだろうな、と。しかし翌日、僕の名前はいつもと同じ「3番センター」
の欄にあったのです。そして信じられないことに、1試合目にランニングホームランを打ってしまったのです。そしてチームは次の日の中国大会決勝へと駒を進
めました。これが3つ目の奇跡です。しかし2つ目と同様、「オレってもしかしてすごいんじゃないか?」などと思って、僕は神様のことを思いもしなかったの
です。
次の日の決勝は、勝てば全国大会という試合でした。その日も僕はもちろん万全な
状態であるわけがなく、とても不安でした。相手は岡山クラブという、岡山県選抜です。岡山県全体から選手をかき集めているため、それはそれは強いチームで
した。案の定、うちのチームのエースもボコボコに打たれてしまい、2イニングか3イニングで7点取られてしまったのです。そして、僕は2番手ピッチャー
だったので彼の後に中継ぎとして投げました。まあしかし、監督さんもよく病み上がりの僕にこんな重要な役を任せてくれたものです。僕がもし監督だったら、
そんな病み上がりのやつに投げさせていなかったと思います(笑) そこでのピッチングは、これまた神様のおかげで、5イニングをわずか1安打に抑えること
ができました。そしてチームも、7対3の最終回に5点を入れて、奇跡の大勝利で全国大会に駒を進めました。ちなみに全国大会では、延長戦の末2対1で横須
賀のチームに初戦で負けてしまいましたが。ここで、神様は僕に4つもの奇跡を与えてくださったのに、僕は何も気づきませんでした。奇跡が4つも立て続けに
起こるはずなんてないのに、今思えば、なぜ気付かなかったのか本当に不思議でたまりません。
高校に入ると、ますます教会に行く機会がなくなり、本当に僕はクリスチャンの家庭の子なの
か、というほど神様から離れてしまっていました。たまに「そろそろ教会に行かなきゃなぁ」と思ってはいたのですが、あまりに長い間教会に行っていなかった
のでためらってしまい、なかなか行くことができませんでした。
それと同じころ、高校2年生の冬、小学生の頃から考えてきた留学についての思いがはっきり
としてきて、卒業後にアメリカに留学することを決めました。「留学していろんな国の文化を学んで、視野の広い人間になりたい」「野球の本場アメリカで野球
がやりたい」というのが、主な理由でした。そして今年の4月の初めに、留学エージェンシーの学校があるサンディエゴへと渡ってきたわけです。ここから僕と
教会との距離がグッと縮まってきました。
サンディエゴの語学学校に、敬虔なクリスチャンの先生がおられて、その先生が「メモリアル
デーの日に教会のピクニックがあるから、みんなよかったらおいで」と誘ってくださいました。また、「ピクニックの前に礼拝もあるから、もし興味があったら
そっちも来てね」ということも聞いたので、僕は「教会って久しぶりだなぁ。行ってみたい」と思って、その礼拝にも参加したのです。そこでメッセージを語ら
れていたのが、サンディエゴ教会の大倉先生という方でした。そして礼拝の後に、先生に挨拶をしました。その時、気がついたら僕の口からは「教会に行きた
い」という言葉が出てきていました。やはり心のどこかで教会に行きたいという思いはあったのだと思います。そのピクニックをきっかけに、僕はサンディエゴ
教会に行くことになったのです。と言っても、日曜日は野球のサンデーリーグがあったので、礼拝は参加できず、水曜日のバイブルスタディーのみでしたが。バ
イブルスタディーでは、僕自身聖書を細かく学ぶのは初めてだったため、とても興味深いことが多く、もっと聖書のことを知りたいなと思うようになりました。
6月の終わりにトーレンスに移ってくるときには、大倉先生に安藤先生のことを紹介していた
だき、こちらでは礼拝とバイブルスタディーの両方に参加させてもらうことになりました。特にバイブルスタディーでは、イエス・キリストの愛を中心に学んだ
り、毎週皆さんといろんな意見を共有できたりして、洗礼を受けることを決意するにあたって本当に大きなものとなりました。もうひとつ、ドミンゲスヒルズに
通い始めてから授業の履修などについていくつかの問題に突き当たりましたが、その時に奇跡的に、すべてがうまくいくように神様が導いてくださったことも自
分の中でものすごく大きかったです。これを詳しく話し出すと時間が足りなくなるので割愛させてもらいますが、一言で表すと、「まっすぐな道のいくつもある
信号が、赤からいっきにすべて青になった」ような感じでした。
昔の僕ならまた「運がよかったなぁ」で済ましていたことでしょう。しかしアメリカに来てサ
ンディエゴ教会やここの教会でたくさんのことを学んだ僕は、そのときなんのためらいもなく「神様ありがとうございます」と思えることができたのです。そし
て、9月26日のバイブルスタディーの時、安藤先生に「あなたはイエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架にかかってくださったことを信じますか?」
と問いかけられた時、中学生の時のように「神様なんて本当にいるのだろうか」なんて考えることすらなく、素直に「はい」と答えることができました。なぜな
ら、「科学で証明できなくても、神様は確実におられる」ということを、自分でしっかりと感じていたからです。そして信仰告白をし、この10月5日に晴れて
洗礼を受けることになったのです。
まだ僕は洗礼を受けてから3週間しか経っていませんが、いくつか変わったところがありま
す。まず一つ目は、食事の前に必ずお祈りをするようになったこと。以前はしたりしなかったりという感じだったのですが、今は外食だろうが時間がなかろう
が、最低一言は祈っています。それは「お祈りしなくちゃいけない」という強制的なものではなく、「このご飯をありがとうございます」「今日も無事に過ごせ
たことを感謝します」という感謝の気持ちが表れているのだと思います。そして二つ目は、クリスチャンとしての自覚が出てきたということ。聖書をしっかり勉
強して、少しでも聖書に書いてある生き方に近づきたい、という決心です。また、僕がアメリカに来た目的であった野球も辞めてしまいました。もちろん野球は
今でも大好きで、どんな形にしろ、続けていきたいとは思っています。しかし、今の時点でしっかり勉強して、将来、他の人には絶対できないことで神様のため
に働きたいと思ったので、大学の野球を辞める決意をしました。このような形で辞めることになろうとは思ってもいなかったので、僕自身もビックリしていま
す。そして最後の変化は、「なんか生きてくのが楽になった」ということです。うまく説明できないのですが、肩にのしかかっていた何かがなくなって、すごく
肩が軽くなったような感じです。
今話したことは洗礼を受けてから今までの変化ですが、僕にはクリスチャンとしての究極の目標があります。それは、「本当は苦しいはずのことを苦しい
と思わずに差し出せる」ようになりたいということです。献金でも奉仕でもそうです。自分で稼いだお金、自分の時間を差し出すことは苦しみを伴うことです。
しかし中にはそれを苦しいとも思わずに喜びを持って差し出している方たちだっているのです。僕はそういう人たちを見ると「ああ、この人たちは本当に幸せな
人たちなんだなぁ」とつくづく思います。そして、そういう人たちのようになりたいな、と心から思います。
最後になりましたが、今日ここに来られている方で、まだクリスチャンではない方に言ってお
きたいことがあります。僕がそうだったように、きっとあなたがたのまわりにも偶然ではない、神様があなたのためにしてくださったことがたくさんあると思い
ます。僕のように、あれだけたくさんのことをしてくださったのに気付かない場合だってあると思います。ですが、一回その神様の愛に気づけば、神様がどれだ
けのお方なのかちゃんとわかるはずです。そのために、どんなちっちゃなことでもいいので、自分の周りに目を向けてみてください。
ありがとうございました。
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