■中村益満兄の証し(JTJ卒インターン)
<二度の死と二度の復活>
私は今まで63年間生きてきた中で、2度死んで2度復活しております。 私は宗教とは無縁の中で育ちましたので、ずっと『無神論者』を自認してきました。子供の頃は家が裕福だった事もあり、お金を母からせびっては使い放題という、我侭で虚栄心の強い子に育ちました。つくづく子供にはお金を十分与えてはいけないと思っております。
私が大学3年の時、実家が破産した為、大学を中退して“中華ソバ屋”に急遽転身しなければならなくなりました。この「大学生からそば屋への転身」は、それこそ“王子様から貧民”に、“天国から地獄”にいきなり突き落とされたような物でした。いや、地獄でもよいから、穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。
なぜなら、「俺は天下の早稲田の学生だ!!」と言わんばかりに、早稲田の角帽をかぶって町中を歩いたからです。当時は大学まで行く人は少なかったので目立ちました。これだけでも私の虚栄心がどんな物かわかります。恥ずかしい思いを酒を飲んで忘れ様としました。この経験で「虚栄心は人を愚かにする」ことが分かりました。
それでも兄弟五人力を合わせてよく働きました。数年後には借金も返済し、結婚して、二人の娘にも恵まれました。しかし、子供の頃からの夢であった<外交官>への道が断たれ、友人と比較しては私の方が劣ると決めつけていました。つくづく外見だけで判断していたと思います。その劣等感に耐え切れず、酒量が増え、酔えば必ず暴れて、人に迷惑を掛けるようになりました。遂にはアル中になり、精神病院の入退院を繰り返すようになります。
母親の姿を求めて泣いている子供に、子供の大好きなおやつをやっても泣き止まないのは、母親にしか埋める事の出来ない『心の空洞』があるからですが、私にもどうしても埋めることのできない『心の空洞』がありました。遂には妻にも見放され、離婚もします。娘たちが六才と三才の時です。その後の私は、「生きる事も、死ぬ事も出来ない、いける屍」でした。これが第一回目の死です。
父からも母からも「お前は社会悪だから死んでくれ!!」と言われ、父からは勘当されてしまいましたがその父も亡くなり、単身東京に出て、はからずもAAと言うグループセラピーで酒を断つことが出来ました。17年前の事です。AAでは『自分の理解する神、Higher Power』を信じて、毎日「今日一日飲まないように」と祈りましたが、次第に家族の事、AAの仲間の事、会社の関係者、遂には日本中の人、世界中の人々の幸せを祈るようになりました。
断酒後五年経った時、突然長女から電話が入り、「東京の英語学校に通うので、一緒に住もう」と言われました。このことは、それこそ暗く長い地獄の底から、一気に天国に引き上げられたような気分で、「酒を止めて本当によかった」と私の信じていた神に心から感謝しました。
これが第一回目の復活です。
重症のアル中であった私は、AAで酒から開放され、社会人として誰にも迷惑を掛けることなく生活できる様になりました。別れた長女との一年間の同居は「自分が変わ る事によって周りの人達も変わる」という体験を身をもってしました。しかし一人だけどうしても赦せない人間がいました。兄です。兄は私が酒を飲むとすぐ、精神病院に入れたからです。私が離婚したのも、私の人生設計が狂ったのも、「兄が私を精神病院に入れたからだ!!」と恨んでいました。
ある日の事ふと「もし兄が私を精神病院に入れなかったら、半身不随になっていたか或いは死んでいたかもしれない」と思った時、兄への恨みは“感謝”に変わっていました。
一方娘達二人も結婚して孫にも恵まれ、会社では給料と役職がうなぎ登りに上がり、わたしは有頂天になっていました。何もかもバラ色に見えました。でも子供の頃の“虚栄心”が目を覚ましていたのには気がつきませんでした。「今、人並み以上の生活が出来るのも、全ては自分の力、自分の才能による」と自信に満ちていた時、サタンは甘い言葉で私に囁きます。「あなたは偉い。たいしたもんだ!」と。
私は自分の力に慢心し、いつしか“人の痛み”が分からなくなっていました。そんな私に会社は「リストラ」を宣告します。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)この通りでした。そのリストラによって“今までの私の人生は完全に否定されました。”私自身にあるはずの“力”がなかったからです。
私は“心の支え”を失って、今度こそ本気になって本格的に死ぬ事ばかり考え始めました。この世から逃れるため、『山谷』の安宿で、又も「生ける屍」と化します。これが2度目の死です。
私がAAで信じた神も信じられなくなり、毎日欠かした事のない祈りも止めました。それでも酒には手をつけませんでした。そんな状態が一年以上も続き、金もなくなり、いよいよ「死の決行」に迫られた時、ある建物から大勢の人達が出てきました。私は不審に思い、「あそこで何かあるの?」と聞くと、「あれは教会で、礼拝の後食事が出る」と言うのです。そうです!! イエス様は、私を食事に招いてくださったのです。
その教会は森本春子先生の教会でした。私は老師の力溢れる説教に、“活ける力”が注がれて来るのを感じていました。やがて教会が私の心のオアシスとなり、AAで信じた神は実は「イエス様」であったことに気付かされるのに時間は掛かりませんでした。イエス様は17年前からずっと、私を痛い目に合わせながら、導いてくださってい
たのです。
そう言う中で、「われ救われしは、救わんがためなり」のお言葉に電撃的な触発を受け、「問題を抱えた青少年を親御さん共々で救いに導く為、JTJ神学校に進み、今春卒業しました。
先月4月8日に、安藤先生が牧しておられる教会にインターン生としてこのアメリカ大陸に参りましたが、着いたその日の家庭集会で、「開放」というテーマを主からいただきました。 私はこのテーマを生涯のテーマとして心に刻み、主の栄光のために主に仕えてまいります。
私は今63才にしてなお、新しい毎日を生かされております。
ハレルヤ、栄光在主!! (5/21/2003)
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