安藤秀世「君に伝えたい」



 私は1964年東京オリンピック、新幹線開通の年にアメリカに渡りました。25歳のときでした。

 夢と希望に胸を膨らませることなく、只ただ、日本を脱出する思いで渡米しました。英語学校に通い始めて2ヶ月経ったとき、アメリカでもう一度やり直すことが出来る(人生やり直しの可能性)ことをを見つけました。

 もう一度,大学に行く決心をして、日本人がいないであろうと思われたコロラド州の田舎町に小さなコミュニティーのジュニア・カレッジを見つけ2年間通い、その後州立カリフォルニア大学〔カリフォルニア・ポリテクニック大学〕に編入、30歳で卒業しました。

 小学校4年生のとき両親が離婚。以後親戚の家を渡り歩くが、高校3年の時、独立を宣言。大阪のとあるバタヤ長屋(主に日雇いの人達が住んでいた)に居を構えました。

 アルバイトをしながら高校を卒業し、その後、大学受験に2度も失敗。その間宝塚歌劇団で歌のアルバイトを始めました。この時期が一番楽しかったです。何しろ、好きな歌が歌えてお金が貰え、その上毎日綺麗な女の子のそばに居られたのですから。しかし、ろくに勉強もせず当時の生活は自堕落なものでありました。

 無理がたたって、肺結核の診断を下され、結核療養所に入院。大阪府の擁護を受けていたため1年で強制退院させられ、親戚の家で自宅療養を続けるも将来を悲観し、人生の執着を断ち切るため割腹自殺を試みましたが失敗。後はただ不貞腐れて生きていました。

 そんな時,先にアメリカに渡っていた母より、アメリカへ来ないかといわれ、1964年5月ロサンゼルスに渡りました。

 最初の2ヶ月間、生活に潤いがなく、何処かで歌の歌えるところがないかを探していた所、母の行っていた教会〔ロサンゼルス・ホーリネス教会〕に通い始めました。賛美歌は子供のころ叔母に教えられていたので抵抗なく、歌を歌いたい一心で教会に行き、久しぶりに思いきり声を出す快感を味わいました。 それ以後病み付き?になり1964年9月13日に洗礼を受けて以来、この37年間いまだに教会に通っていましたが、2年前〔61歳〕から病み付きが高じてとうとう牧師になっていました。

 33歳で結婚し3児が与えられる。3つほど職業を変え、42歳から旅行会社を経営。〔旅行会社にはその前の7年間勤務していました〕。

 1988年秋、腹部に腫瘍が見つかり摘出手術を受けました。〔約15インチ,49センチほど腹部を切開〕。2週間の入院中に考えたことは、もしこの命助かれば、この身を一生主に捧げることを決意。時期は61歳からとその時何げなく思いました。人生の大転機には引退前〔アメリカでは62歳から年金が貰える〕が良いと思ったからです。会社の責任はまだ私にありますが、60歳で実質的に引退しました。 


 今も、昔と同じような貧乏な状態は変わりません。しかし、不思議なことばかりが身の回りに起こり、恵みの中を至上の幸福感を味わいながら生かされています。全てが与えられ、全てが満ち足りています。 おまけに今は沢山のチャレンジが与えられています。この年になって自分のソロCDを制作したのだ。この37年間の賛美の集大成のつもりで制作させていただき、またこの為に多くの人が助けてくれました。 このCDを持って、地方巡業ならぬ、教会めぐりをし、証しと賛美の機会を与えられるよう祈り、生涯現役でいのち果てるまで、主の僕(しもべ)としてお仕えしたいと切に願っています。

 ハレルヤ! と歌いつつ、 感謝!