安藤秀世「君に伝えたい」


 安藤由美子牧師夫人 救いの証し 
(1966年6月19日受洗)


 私は京都府の最北端、日本海に面した小さな田舎町、間人(たいざ)で生まれ育ちました。そこは日本でも良く知られている、丹後ちりめんの産地でもありました。父 と母もその産業に携わっていました。閉鎖的で保守的な空気の強い町を嫌がり、若者達は都会へと出て行きます。

 人一倍依頼心の強い私も、何処か遠くの知らない土地へ行って、一人で何でもやって行きたいと思い、東京の大学を選びました。両親の保護のもとにあった生活とは全く 異なり、違った環境の中、孤独や対人関係で戦って行くのに疲れ、自己嫌悪や自分の勝手さ、わがままに行き詰まる日々が続きました。

 そのような時友人に誘われ、生まれて始めて教会に行きました。何も分からないまま、キャンパス・クルセードのキャンプにも参加しました。そこでイエス・キリスト 様と自分との個人的な関わりを始めて知りました。今まで他人事だと思っていたことが、イエスの十字架上での死が、私の罪のためであることを知らされ、そして信じれ ばこの醜い自分の内側にある罪を赦してもらえるのだと言うことが分かって、その時イエス様を救い主として信じました。

 それから毎日神様との交わりを深める為、聖書を読みました。読めば読むほど、神様の恵みの深さ、愛の大きさを知り、神様はどれほど大きな犠牲を払って私のこの醜い罪を赦してくださったのか教えてくださいました。

 ヨハネ3章16節の言葉は正に私に与えられたものでした。
「神はその独り子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私達の罪の身代わりとして死なせるほどに私達を愛してくださった。」  

 それ以来み言葉と祈りの力を教えていただき、体験させていただき、イエス様は平安と励ましを与え続けてくださり、常に変わらない愛を与え続けてくださっています。弟が救われ、二人の妹が救われ、母も亡くなる半年前に病床洗礼を受けました。しかし、20年前からのリューマチがず-っと身体と心の悩みでした。毎日痛みで泣き、歩けなくなるのではないかと言う不安で、押しつぶされるような毎日が続きました。

 そんなある日、いつもの様に将来の不安に悩んでいた時、”恐れるな“と言う声をハッキリ聞きハッとしました。いきなり聞こえてきたこの声は一体なんだろうと思いあぐねていたら、これに続く言葉は、”私はあなたと共にいる“という言葉ではありませんか。「神様、ありがとうございます。いつも不安でびくびくしているのをご覧になって直接お声を聞かせて下さってありがとうございます。」と祈りました。いつも最善をなしてくださる神様が、こう言って下さるのですから、間違いのないことだと信じます。<私に任せておきなさい>と言って下さっているイエス様にお任せして行く人生とさせて頂きたいと主の御名をあがめました。   感謝を以って、

  安藤由美子 
(1966年6月19日受洗)