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俳句エッセイ  晩秋

能勢盆地のいなかで晴耕雨読の生活を送っている両親を、訪ねた。
豊中から阪急電車で川西能勢口に出て、能勢電鉄に乗り換える。
終点の「日生」で降りて阪急バスを待つ。バスは一時間に一本で、
乗客は私を含めて三人だった。一人ずつ降りてゆき、最後に私を下ろしてバスは空になった。
ひつじ田の間の細い山道を登っていくと、栗の林の奥に父の白髪が見え隠れする。
腰にはさみを吊るして庭木の手入れをしている。母が小さな白い顔をこちらに向けた。
「おとうさんは近ごろ忘れっぽくなりはって、ここかしこに庭はさみを置き忘れて探し回りはるさかいに」
上機嫌で笑っている。隣は、米寿を過ぎたおばあさんがひとりで暮らしているそうだ。
枯れたすすきや荒地菊の伸び放題になった庭にくさりで垣をして「何人もはいるべからず 地主 大隈」
と書いたダンボールの切れ端が下がっている。
「お人きらいなんかしら?大隈さんは?」ときくと「栗がな、たくさん落ちてるやろ?
それを拾われるのんが口惜しい、とこないに言わはるのや」と、母がためいきをついた。
こどもたちが幼い頃に読み聞かせていた寂しい老人の話を私は思い出した。
それは、けちんぼうで気難しい金持ちの独居老人の話で、彼は屋敷の敷地にこどもたちがはいってくるのを いやがっては追い出していた。
世間に春が来ても、この男の屋敷は祝福が届かないのでいつまでも寒くて冬枯れの庭であった。
最晩年にようやく神を知ることができたこの老人は、とんぼがえり、宙返り、まことに立ち返って 死んでいくことができたそうだが、大隅さんの閉ざされた庭にいつか、神が入ってこられますようにと祈る。

  
 庭木刈る腰にはさみをひもで吊る

 何人も入るべからずと虚栗

                          馬齢

                              
ここでいくつか秋と冬の季語を使いました。
   ひつじ田:いねが刈り取られた切り株から新しい茎(ひつじ)の出た田んぼ
   庭木刈る
   枯れすすき
   荒地菊
   虚栗(みなしぐり):実のはいってない栗

二句の下五は、枯れすすきでも荒地菊でもいいのですが「みなしぐり」を得たために句の格調があがりました。
「動かせない」詞を得たときの喜びは、俳句の醍醐味のひとつです。