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命の水の泉から 竹下弘美
日本から若手の落語家三遊亭あし歌さんがきて、私たちの教会でも、公演してくれた。 緋毛氈と紫色の大きな座布団持参で、宿泊所と可能な限りの送迎があれば、無料という、ふれこみだった。きっかけはこちらにいるお年寄りの一通のe メールだったそうだ。死ぬまでにもう一度、落語を生で、聞きたいというその方の念願に、手弁当で来米することを決めたそうだ。高校生の時、一時、ベイエリ アでホームステイしていたことも、引き金になったという。そして、一月カリフォルニアに滞在の間、あちこちから、お声がかかり、サクラメントから、ロサン ゼルス、サンデェイゴまで、29箇所で独演会をした。 迎えに行った時には、彼はまるで、ティーンエージャーのように若く見えたが、いざ講壇に上がると一変した。もちろん、着物と袴に着替えたこともある が、彼の姿形は消えて、別の世界にひきこまれた。小道具はたった一本の扇子と手ぬぐいだけなのに、その噺からいろいろな場面を想像させる。まさに今流行 (はやり)の一人芝居のはしりである。 そして大いに笑わされた。実に歴史を踏まえた芸術だけある。落語というのは、たいてい間抜けな人が出てきて、馬鹿らしいことを言う。笑いというのは 自己の優越性から生じるというが、まさにそのとおりだ。そして同じ噺をきいても何度も観衆を笑わせることができるというのはすごい。その裏にはたいへんな 努力と修行があったという。 その噺のうまさ、しぐさのすばらしさ、さんざん大笑いして、終わった時点では、皆がにこにこして、良い気持ちにさせられて家路につくことができた。 一種の癒しである。もっともっと若い人たちや子供たちに落語をひろめたら、今日本で起こっているいろいろな問題が解決されるのではないかとさえ思った。ま た一方31歳という若い三遊亭あし歌さんのこれからの将来が祝福されるようにと、彼をエアポートに送った後、祈らされた。彼はさわやかな旋風を残していっ た。ちょうど礼拝から帰る時と同じさわやさかのような気がした。 それにしても、牧師諸君、落語家に学びたまえ。同じキリストの十字架の贖いを何度聞いてもあきないで、聞きたいと思わせる技を磨いてほしい。 日本のキリスト教会はすっかり弱くなっているときいた。こんな時に、皆の心をつかむ、説教者があちこちでおこされるように、真剣に主を伝えるためには何をすべきか、落語家に学ぶことしかり。 私たちも牧師に要求するだけではなく救霊に励みたい。 「福音のために、私はどんなことでもする。私も共に福音に預かるためである。第一コリント9−23」
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