命の水の泉から  竹下弘美 


一生のお願い

 

幼 いころ、母は私たちの洋服を作るのを趣味にしていた。一番初めに私の記憶にあるのはユカタ地で作った袖なしのワンピースで真中に白い布でアクセントにヨー クが入っていた。それを透かしてみると、裏に書いてある国防婦人会という字が浮き彫りになった。戦後大分経っていたが、母が戦争中に使った襷のリサイクル だったのだろう。

服を作っている最中母は具合をみるために
「ちょっと着てみて」
と私達姉妹にいつも頼んだ。こちらは服を作ってもらっているのに、「着てあげる」という態度であったから、母は
「十円あげるから、ちょっと着てみて」、
とか、忙しい私たちが面倒くさがると、
「一生のお願いだから」
と言ったものだ。

そんな母に育てられたことから「一生のお願いだから」というセリフは私の中で普通の表現となっていた。結婚してからは、夫に頼みごとがあるたびに、これを使った。

先日八十歳の友人から柱時計をいただいた。きっと身辺を整理しだしたからだろう。彼女が何十年も愛用していた大事な物だ。私はこの柱時計の音色が好 きだったので、喜んでいただいた。ところが、夫は音がすると、寝られないからと、なかなか、それを架けてくれなかった。私が架けると、いいかげんに架ける から、それも夫の気にいらないだろうと、時を待った。

何ヶ月も言いだせずに過ぎた。そうだ、「一生のお願い」があるではないか、私はおずおずと
「一生のお願いがあるのだけれど」
と切り出した。
「いったい何回一生のお願いをしたと思う?」と夫。
そういえば、今まで何回この手を使ったか。そのたび、夫は文句を言いながらもかなえてくれていた。夫は一生に何回願いをきいてもらえるか決めた方がいいという。なんだか、童話にありそうな話だ。

そのとき、感謝なことに気がついた。神様は一生のお願いだからというセリフを使わなくても七回の七十倍も許してくださるだけでなく、お願いさえも聴 いてくださる方だということを。夫の比ではない。 「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。ヨハネ14の14」

結局、夫は文句を言いながらも、柱時計をとりつけたくれた。 そして、結構音も気にならないようで、そのままにしてくれている。この柱時計のおかげで、部屋が格調高くさえなった。

 

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