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命の水の泉から 竹下弘美
こ のごろのテクノロジーの進歩はすさまじい。私たち夫婦が渡米してきた30余年前には、考えられなかったことだ。そのころは国際電話代も高く、日本に電話を かけるのはお正月と母の日だけに決めていた。また、新聞は母が一ヶ月分を船便で毎月送ってくれていたものだ。それが、今は衛星放送あり、また日本の新聞が その日に読めるという迅速さだ。中でも極め付きはウエブサイトとeメールの発達だろう。 eメールは、相手の時間をさまたげることがない、という良さがある。かつて電話で費やしていた時間がだいぶ短縮されたが、その分メールを打っている 時間があることを忘れがちだ。またメールアドレスの変更をするときには、完全に皆に知らせなければならない。今回、ついにDSLに変えたので、この際、 メールアドレスを変更することにし、いつもコンタクトのある人々には変更を知らせた。 そんなとき、毎日使っているビリーグラハム氏のディボーションの本の中に書かかれていた事を読んではっとした。肉体の死というのはこの地上での住ま いが、天国に移るということで、たんに住所が変わるだけだという。そうなのだ。私たちのアドレスが天国になるだけなのだ。ちょうど、eメ−ルアドレスが変 わるように。 そして、今日、私たちの尊敬するクリスチャンの98歳の方が亡くなったとの知らせを受けた。毎年、クリスマスカードをくださるのに、このクリスマス には返事がなく、懸念していた矢先のことである。お電話をして、最後の様子を88歳の奥さまにお訊きすることができた。身体のアチコチに故障がでてきてい たので、「もう疲れたよ。一足先に天国で待っているから、おまえも早くきてくれ」と言って今までの69年間の結婚生活に感謝して、亡くなったそうだ。まさ に、彼は天国に引越しただけなのだ。 彼の住所は@heaven.comになったのだ。これからも便りが出せるではないか。そう思って、悲しみはなかった。残念なのは、これからは一方通 行のメールしか出せずに返事をもらうことができないことだけだ。でもそれもほんの束の間、私もいずれは同じ住所に行かせていただくことができるのだから。 クリスチャンであることはなんと幸いなことか。 「 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、 わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 」ヨハネ14:2
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