|
命の水の泉から 竹下弘美
私 が大学生のころは、女子大生亡国論というのが出たくらい、まだまだ日本における女性の地位は低かった。私は女性の社会的地位向上に関心をもっていたので、 婦人問題研究会というのに入っていた。その後すぐアメリカでウーマンリブ運動が起り、自動車社会のアメリカで女性が独り立ちするためには自分でタイヤ交換 くらいできなければだめだとか、いろいろなことが言われていた。今はAAAがあるからその必要はないが。 「女性はますます編物をする」という言葉が女性の地位の低さを表わす言葉として使われたのを憶えている。あのころから世界はずいぶん変わった。日本でさえ女性がいろいろな分野で活躍しだし、海外駐在派遣さえされるようになったことは、考えられないことだ。 そして驚くことに編物を知らない女性が(わが娘もふくめて)増えている。"愛する人のために手作り"などという時間は現在の女性にはないのだろう。かつては小学校で男子学生も手袋や靴下まで編むことを教わったと思うが。 私も長い間、編物から遠ざかっていた。ところが、最近とても面白い毛絲がでてきて、裏編をするだけで、その毛絲の面白さでステキなマフラーができる ことを知った。長いまつげのような糸が一本の毛絲にいっぱい付いている。初めのうちは、そのいっぱいある 糸のために見えにくく、編目を落として、知らない間に目が減っていたり、逆に増えていたり苦労した。慣れたら不器用な私でもその毛絲がカバーしてくれて、 不揃いな網目をカバーしてくれるので、ステキな作品ができることがわかった。先日日本に行くときには、飛行機の中で何本も仕上げることができ、お土産に喜 ばれた。今はせっせとクリスマスプレゼントを編んでいる。いろいろな糸と組み合わせて面白い作品ができる。 そんなとき、詩篇の139編13節にであった。口語訳では「あなたは我が内臓をつくり、わが母の体内でわたしを組み立てられらました」であるが、 New International Version の英語では組み立てられたというところが、「You knit me together in my mother's womb」 神様が編んでくださったと、表現されている。編物をしている私としては実感としてわかる。組み立てるでもいいが編むという表現の方が綿密な ニュアンスがある。神様は一目一目、落とさないように、また増えないようにちょうど良い太さ、長さに私たちの身体を編んでくださったのだ。 私の編んだマフラーをあげた人が喜んでしてくれるように、神さまが一目一目、目をかけて私たちをこの世に送り出してくれた。私たちはそのことを覚え、喜びの日々を送りたいものだと思う。 Joy To The World 主のご降誕を祝いつつ
|