命の水の泉から  竹下弘美 


命の恩人

 

「賛美歌を声なく謳う春の冷え」

父のくぜのある筆跡で書かれた俳句の紙切れを発見した。父が亡くなってから十年も後、日本の実家に帰ったときのことである。

父と母の救いは私が救われた時からの祈りの課題であったが、神棚に手を合わせ、神社でお賽銭を投げる父がクリスチャンになる日を考えるのは祈りながらも不可能に思われた。むしろ、母だったら可能性があるかもしれないと思っていた。

その父が、体調の悪さを自覚しながら、仕事に明け暮れ、医者に行った時にはすでに末期の大腸癌と診断された。なんとか父に永遠の命をもってもらいたいと、こちらから日本に帰った友人で実家に近い所の浅野孝幸先生(日本ホーリネス教団東大和シャローム教会)に連絡をした。

彼は二十年以上も前、昼餐会につられてロサンゼルスホーリネス教会を訪れ、友愛会の交わりの中で救われて献身、東京聖書学院を卒業して牧会者となら れた方である。まず、奥さまが花をもって父を見舞ってくださり、少しづつ、父の心を開いていってくれた。そして、心の準備ができたころ、先生が、福音を語 り、父はイエス様を受け入れた。そして、3日後に召されたのである。 昔、浅野青年をロサンゼルスのリトル東京の安宿から教会に行くためピックアップして いたころ、まさか、父の命の恩人になってくださるとは思いもよらなかった。神様の奇しい業である。

父が召されたのは7月末であった。この俳句は春に詠まれている。私は父はそれまで福音に興味を示したことはないときめつけていた。けれど、この紙切れに書かれた俳句を見て、父はひそかにもっと前から求めていたのではないか、と思われてきた。この俳句は その年の春かもしれないし、もっと前の春に詠まれたのかもしれない。

また、31年前、ロサンゼルス教会の伝道集会で、土屋一臣先生のメッセージのあと、若かった安藤秀世兄が、リバイバル聖歌の「我さえも愛したもう」を賛美した時、それまで理詰めで聖書をわかろうとしていた夫の心が溶かされた。夫にとっての命の恩人は安藤秀世先生である。

そんなことから、夫の命の恩人である安藤先生からの依頼のエッセイ執筆を今月からお引き受けすることになった。そして、私自身も多くの方の命の恩人になりたいものだと思う。父のようにひそかに求めている人達もいるだろうし、そうでなくても、どの人もみ んな人間は心に神様を入れる空洞をもっているのだから。

*「命の水の泉から値なしに飲ませよう  ヨハネ黙示録21章6節」

 

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