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Sunday, 17 January 2010 22:06 |
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聖歌「十字架のかげに」
この歌を書いたファニー・クロスビーは、他にも多くの有名な聖歌・賛美歌を書いています。「われにきかしめよ」、「たたえよ救いぬしイエスを」、「罪にしずむなが友に」、「救いぬしイエスと」、「おそれなく近寄れ」なども日本語にも翻訳され、親しまれています。英語の聖歌集には彼女の曲が22曲も入っています。このように大きく神に用いられたファニー・クロスビーですが、実は彼女は生涯盲目で人生を送った女性でした。 ファニー・クロスビーは1820年にニューヨークで生まれましたが、生後6週間の時、医者のミスによって失明してしまいました。さらに彼女が1歳になる前に父親が亡くなってしまいました。
しかし彼女は、熱心なクリスチャンであった祖母や母親のたくさんの愛情を一身に受け、すくすく育ち、次のような詩を書きました。
「私は目が見えなくても何という幸いな身の上でしょう。 私はこの世では、不平を言わないことに決めました。ほかの人たちが知らない、沢山の恵みを私は味わっています。目が見えないからといって、どうして嘆くことができるでしょう」
わずか8歳のファニーの信仰告白となる詩です。
そんな彼女は、主イエスの十字架の愛を伝えるために宣教師となりたいと願いました。それは叶わなかったのですが、やがて彼女は、自分の歌を通して百万人の人を主イエスに導きたいと祈り続けました。
そして、彼女は作詞によって得る収入の殆どを貧しい人々に与え、天に召されるまでニューヨークのスラムに近い貧しい家に住んでいました。
また彼女を盲人にしてしまった医者が、心をいため続けていたことを知った彼女は、自伝に次のように書きました。「もし今、私が彼に合うことが出来たら、伝えたいのです。『私の目を見えなくしたことで自分を責めないで下さい。あなたにとっては失敗だったかもしれません。でも神に失敗はありません。私が肉体的に暗やみの中で生涯を暮らすことは神のご計画だったと私は信じています。』と。見えないことを通して多くのものを見ることができ、神への讃美を歌い、他の人々を励ませる者にしていただいたのですから。私は世界中で一番幸せな者だと思います。今しばらくは身体の目で見ることはできません。でも天の御国に帰ったその時、私はこの目で最初に救い主イエス様を見ることができるのです。神様はすべてを働かせて私たちに益として下さいます。この神の愛に満たされて、私は讃美しつつこの世の旅路を歩んで行きたいと思います。」 ファニー・クロスビーは生涯、盲目のままでした。でも詩の才能を与えられ、神様の恵みに深く感謝して、十字架に現された神の愛を歌い続けました。そして、いつも神様のそばに、十字架のかげにいることの大切さをこの歌にこめ、私たちの心へ今日も神様の愛を届けてくれているのです。
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Last Updated on Friday, 12 March 2010 21:14 |