「忘れていたこころ」  

 「これが手に入ればわたしは絶対幸せになる」と思うものを何かお持ちでしょうか? 私は長い間7人乗りのミニバンを欲しいと思っていました。我が家の経済状態ではとても買えないのでとっくの昔に諦めていたところ友人が、教会の役に立てる様にとお金を送ってくれた。それに少し足して念願のバンを買い有頂天になっていますが、その車は中古で買ったので今度は新車が欲しいと思い始めています。新車が手に入ればその次の物が又欲しいと思うようになるのでしょう。第一線から身を引いて第二の人生を生きている者にはもう余り物は欲しくない筈なのに、人並みにまだ物にこだわる心が消えずに残っています。厄介な事です。 この「物欲」と言うのは豊かな国だけのものだけではありません。                         
       
 こんな話があります。あるアメリカの経済評論家がアフリカの小さな田舎をたずねた時の話。そこの住民に「この村で一番の問題は何ですか」と尋ねたところ「物欲だね」と答えたので驚いたそうです。食糧不足とか、医療不足等と言う答えを期待していたのです。その村には私達が持っている文化的な物は何一つ無かったにもかかわらずです。それでもその住民は言いました、「土壁の小屋が手に入れば石の家が欲しくなる。次は草葺の屋根が出来たら今度はブリキの屋根が魅力的に見える。結局問題は人の心であって、住む家ではないよ。」 物欲についてこれほど簡単明瞭な解説はありませんね。

 読者の皆さんは自分や自分の家族に何が一番大切か考えてみた事はおありですか。確かに経済はあまり良くありませんが、最低限の文明の利器は大体揃っています。でもまだまだ欲しいという心は際限続くのです。どのような時代であれ、文明の発達度に違いがあっても人間の心は2000年前もアフリカの片田舎やニューヨークにいる人も変わらない。この 物欲を突き詰めていけば人の持っている「罪」に行き当たるのではないでしょうか。

 クリスマスはこの人の心の中に巣食っている「罪」のために永遠の滅びに行ってしまうような私達が救われて、永遠の命を得、永遠の都(天の御国)に入ることが出来る様にと創造主なる神がイエス・キリストをこの世に送ってくださった記念の日です。世界中がこのメシヤ(救世主)の出現を持ち望んでいたのです。「忘れていた大切な心」を、物にではなく、まことの救い主であるイエス・キリストに向ける時でもあるのです。

 神の御子なるイエス・キリストの誕生を心からお祝いしましょう。単なる幼子の誕生ではありません、やがて私達の罪を贖って下さるために十字架に掛かって死ぬべくしてこの世に送られて来た方です。この方を信じる事によって永遠の命を得、天の御国に入る事が許されるのです。この機会に最寄りの教会にいらしてくださり、共に主を礼拝してみては如何でしょうか。祝福を祈ります。

 
安藤秀世サウスベイ・ジャパニーズ・クリスチャン・フェローシップ牧師