「慣れ」と「狎れ」
 
         

同じ発音の「なれ」だが、意味合いがずいぶんと違う。 デジカメの操作に慣れてきた。フリーウェイの運転もずいぶん慣れてきた、などは普通の使い方。 ところが「狎れ」という字は「けものヘン」が示す通り、卑猥な感じがする。 何か一線を越えてくる、無礼で、人の領域に土足でと踏み込んでくる、拒否したくなると、 言った感じで、気をつけなければならない言動。

中学生の頃、叔母に「慣れても狎れるな」とよく言われました。 ちょっと慣れてくるとすぐに狎れてくる、そうすると疎まれる、敬遠される、 嫌われるから最低限の「礼節」は守るようにとの教えでした。

ビジネスをしていた頃、新入社員は最初、朝と退社時には必ず私のところに挨拶に来た。 暫くするとそれもしなくなる。先輩を見習って狎れて来たのだろうか。 社員教育が悪いと言われればそれまでだが、そんなことまで会社がやる必要はないと思っている。 こんなことは常識なのだし、家庭教育の基本だと思うが、どうでしょう。

我が家に遊びに来る6歳と8歳の兄妹はどんな些細なことにも「サンキュー」と言う。 玄関入って来る時もちゃんと挨拶をする。礼儀は文化によって異なるかも知れないが、 生活の中で身につくもの。生活上の作法はどんなに親しくとも脇まえておかなければ、 すぐに人は「狎れ」てしまう。

「挨拶」や「ハイ」の返事もキチンと言えると気持ちが良いだけではない、人間関係もよくなる。 目と目を合わせて挨拶する。名前を言って挨拶するのはもっと良い。「○○さん、おはよう。」 握手をしながら、ハグし合いながら、軽くそっと腕や肩に手を置きながら挨拶すると言葉以上のものが 伝わって来て実に爽やかな感じがする。 (セクハラにならない様、特におじさんは気をつける)

パウロと言う人の書簡の最初の書き出しは、実に丁寧な挨拶から始まっている。 狎れ狎れしさがまったく無く、いつも新鮮で、心がこもっていて、愛情が伝わってくる。 謙遜で、襟が正される思いがする。

日本では良い諺がある、「親しき仲にも礼儀あり。」

この節度ある言葉を、もう一度よく吟味すべきだろう。

「愛は・・・無作法をしない」聖書