牧師にだって悩みは沢山ある。 やはり人間関係だろうか。
私の最大の悩みと言うか、心にいつまでも気に掛かるのは、同業の牧師だ。
どうしようもない!! と自分が一方的に思い込んでいる場合が多いのかも知れない。
お互い神に召された者としての自覚と召命の喜びは持っているが、牧師と言えどもその人の性格はなかなか変わらないらしい。
その一つに「無責任さ」がある。 大体上に立つ者は、多くの権威は部下に任せ、責任は自分が取る、というのがリーダーシップの基本だと私は信じる。
部下の不始末のために減給や何らかの処分などの責任をとるのが社会一般の常識。 もっともなかなかしぶとく居直りを続ける人もいるが・・・
牧師はその点が非常に甘い。 牧師も人の子、上に立ちたいという野望はあるらしい。
教団委員長、ナントカ委員会の長など押し上げられると悪い気はしない(実際任期期間中何もしないのもいる)。 しかし、責任問題となると、何時もウヤムヤになってしまう。
お互い庇い合うのか、そこまでしなくても、と言う思いやりがあるのか。 牧師もたまには減給処分、休暇取り上げ、 講壇に2ヶ月は立たせない、などやってみたら?
牧師は何でも赦されると思ったら大間違いだ。
「口害」に悩まされる事がある。 牧師の口には責任が伴う事を知らぬのがいる。牧師の言う事にどれだけの影響力があるのか知らぬ輩がいる。牧師が言う事は何でも正しく、赦されていると思うらしい。
とんでもない話だ。
よくもまぁ、これだけゴタゴタと言えるもんだ、と呆れ返ってしまう。
しかしこんな人も黙る事がある。 それは自分に都合の悪い時だ。
しかし、黙るならまだ可愛いが、自分を正当化するに至っては言語道断だ。
どうすりゃいいんだ、こんな場合。
ある時、信頼出来る役員二人に自分の胸の内を正直語ったら、「神様の赦しておられる事かも知れません」と一言。 どっちが牧師だ。
こんな事をダラダラ言っている様じゃ、牧師としての資格がないのは私のほうだナ。