90才になってイエス・キリストを救い主として受け入れられた方が私の知り合いにいる。
娘さんと共に信仰告白をなさり,お二人で一緒に洗礼を受けられた。
彼女の喜びはいかばかりであったことだろう。 病気勝ちでありましたが、毎日を喜びと希望のうちに歩まれていました。
しばらくして体調を崩され、入退院を繰り返されましたので、教会を6ケ月以上お休みになられました。
すると、あろう事か教会から除籍通達が来たのです。 「エッ!? 除籍ですか」と思わず私も唖然として言葉もありませんでした。まさに青天の霹靂とはこのこと。
除籍をされるほど、別に教会に迷惑をかけるような事をした訳でもなく、罪を犯したわけでもなし、ただ病気で教会を欠席したと言う理由だけで除籍なんて聞いた事も無い。
それはそこの教会規範にあるものなのか。多分そうだろうと思われる。
牧師は勿論のこと、誰も一度も病気見舞いに来なかったと言う。 突然の通告にそのおばあさん、ショックで余計病状が悪化してしまった。
娘さんも猛烈に腹が立って、教会を去ってしまわれた。
「牧師に抗議をされたのですか?」とお聞きしましたが、「自分達には抗議するほどの信仰歴もなく、教会のことも良くわからない」と言うことで、その事はウヤムヤのまま、おばあさんは亡くなられた。もう一人の娘さんの紹介で別の教会に行っておられたが、そこで立派な葬式をされたとの事。内輪だけの20人位でと思っていたのが、親戚友人合わせて80人位来られた。90%以上の人たちがクリスチャンでない方達ばかり。
多くの方がキリスト教のお葬式に痛く感動され, それ以来3人ほどお葬式をしていただいた教会に今も集っておられるという。
聖書に、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)とあります。
93才でなくなられたそのおばあさんは、立派に伝道されたわけです。
除籍を宣告した教会は創立50年にもなる教会で30人位集まっておられ、かたやお葬式をして下さった教会は300人くらい来ておられるとか。
教会では必ず愛を語る。
しかし愛が言葉だけのもので、行いのない教会は愛を語るべきでは
ない。
語る資格がないとさえ思う。
そんな教会が存在することすら、不思議でならない。