「PC」
 

 「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる」
詩篇37:25


 近頃日本でもアメリカでも好んで言葉を短くする。中には訳の分からない言葉があり、分かる仲間同士で得意になって使っている。一種の隠語だ。私にはそんな事はどちらでも良いと思うような年になってきた。

 仕事上どうしてもコンピューターを使わなくてはならなくなって来て10年経つが、依然として必要以上のことには挑戦しない。E-mailを打つ事、阪神タイガース戦の結果を見る事、ワードで作文すること以外はまったく使わない。コンピューターは便利だけど、これに振り回されるわけには行かない。

 言葉を短くした中で、PCと言うのがある。パーソナル・コンピューターの略。

 個人で使用出来ると言う事で(昔は部屋一杯に据えられた大きなコンピューター)好きな時に、好きな場所で、好きなようにコンピューターで遊べる便利なものとなって来たが、然しこれが余りにも個人的なものとなって、密室的な、秘密的な、外部と遮断されたものとなって来つつある。

 多くの情報を得、ゲーム遊びをして非現実世界へと誘発され、声を発せずにチャットを楽しみ、顔を会わせないので大胆かつ無謀な事を会話し合い、熟年オジサンにはどうも余り健康的な感じがしないように思える。

 同じPCでもパーソナル・コミットメントをする方がよほど、建設的、生産的、積極的、健康的である。然し現状は、パーソナル・コミットメントを極力避ける傾向のほうが強い。

 自分が本当に人生に賭けたいこと、本当にしたい事を実現していく方向性を、今の若い人たちにどうしたら示すことができるのか。

 聖書にこそ私達が立ち返らねばならない時が今来ている。聖書にこそ生きる理由、生かされている意味、個人の存在価値と真の命の尊さ、人生の目的の指針がある。

 そしてそこで始めて本当の意味でパーソナル・コミットメントを出来るのではないだろうか、問うてみたい。

 安藤秀世サウスベイ・ジャパニーズ・クリスチャン・フェローシップ牧師