この夏休みに、夫婦で関西で二番目に高い四国の剣山に登った。遠くからその頂きを眺めていると、近くの山々から段々と幾重にも重なって緑深く、その威容を誇る。登山口まではJR、バスを乗り継ぐ。大阪からでもかなりの時間と労力が要る。しかし、地元に住む人々にとっては、いつも見ている、いつもそばにある山であって殊更に意識するものでもないかもしれない。 この山はそこに住む人には『慣れ』たものであり、遠くからわざわざそのために来る人には『意識』し目的を持ったものです。
この剣山、1995mあるが、高山植物の宝庫です。渓流近くに群生する黄色い可憐な花のタニソバ、岩陰にひっそりと咲くしろいウナズキボウシやレモンイエローのキレンゲショウマなど登山者の目と心を和ませてくれます。 その他名もなき、いや名はあってもこちらが知らない草や花が誰に誇ることもなく沢山あります。
この花も土地の人には普通のこと、しかし我々には感動ものだ。日常生活において、この『慣れ』、無感動がいかに多いことか。朝起き、食事、仕事、帰宅、食事、風呂、就寝と生活がパターン化してしまうと、夫婦でも『慣れ』てしまって、『おはよう』の一言も忘れてしまう。空気のごとく、水のごとく、あるのが当たり前になります。
仕事や技術などは、練習して段々と慣れて、上手くなるという言う事はベストのことでありますが、しかしそれでもいつも向上心をもって意識して努力していかないと、『マンネリ』『堕落』へと進む。
時に、この生きていることさえ、『昨日の今日、今日の続きの明日』と無意識となる。ましてや、生きるのに『息きている』ことの喜びと感謝を持っている人は?人が病にあれば、この『息き』一つ、大変なことが実感される。人間は、この『慣れ』たことに、もう一度感性を持って意識したいものです。そうでなければまことの『よろこび』はない。
妻が食事を作る。それを食べる。いつものことよと思えば、当たり前のことに。しかし、妻が急に病に倒れると、途端にその食事づくりが大変になる。その病が長引けば、夫は時には仕事も休み、三度三度の食事、後片付け、掃除洗濯と『妻が毎日やっていた“当たり前”のこと』に振り回される。そこで夫は、『妻の毎日の当たり前』がいかに大変か分かるはずです。慣性から感性、そこに感じるものがあれば毎日の普通の、何気ないことの中に『感動』があり、『よろこび』を感じることが出来るのです。思いやりが生まれ、『愛』を感じます。
神様は人を造られた時、「その鼻にいのちを吹き込まれた。そこで人は生きものになった。」(創世記2:7)
今ここに有る生命ある自分、当たり前に『息きをしている』ことの不思議さ、神の『愛』に感動して感謝を改めてしたいものです。
神崎直行博士 教授(精神医学・経営心理学博士)
サウスベイ教会協力者・アドバイザー
神崎直行博士プロフィール:
慶応義塾大学卒。医学博士(精神医学)、経営学博士(経営心理・臨床)。カリフォルニア・ウエスタン精神医学研究所。大学院で教えるかたわら、臨床活動、著作活動、講演会と超多忙。詩人でもある。著書に『こころの詩』、『こころの出逢い』、『こころ語り』、『成功物語』、『格差の商法』、『成功への戦略実践』、『客づくりの経営戦略』など。経営コンサルタントおよびサイコセラピスト・心理分析に30数年にわたって従事。ここ10年は、大学の研究室で経営における意志決定の心理と働く者の精神医学的内的開放・潜在脳力開発の研究に取り組む一方、大学院生のゼミ教授としても活躍している。